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連載エッセイ

第2回
「体験ダイビング」

トマム ザ タワー1
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トマムの花
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波の音聞けます

Photo and essay * Photographer * JIMMY 工藤氏


 その後10年ほど経ったある暑い日曜日私の父がゴルフの帰りに交通事故を引き起こし、その事故がもとで急逝したのですが、これがなぜダイビングに関係あるのかといいますと長くなりますが父は昭和32年頃を境に会計事務所から不動産業を営むようになり、急逝の結果、3人兄弟のうち誰かが事業を引き継がなければならない状況になったのです。

 不動産業は免許事業のため宅地建物取引主任者の資格を持った者が必要だったのですが、私が前年度の試験に偶然合格していたんで、私にそのおはこが回ってきたのでした。

 サラリーマン時代の営業だけをしていればいいのと違い、経営、資金繰り、その他、 色々大変な事がありますが、今度は会社のオーナーですので朝9時から夕方5時までの勤務時間以外、土、日曜の時間があまってしょうがないわけでした。

 何せ学校を出てからズーット遊んだ事が無く、休みに何をしたらいいのか分からなかったとろころ広告会社に勤務する米田さんが広告をとりに来ていて、彼女は私が若い頃に夢にまで見ていた、「スキューバダイビング」をしているというのです。
 それこそ夢中になって話を聞いてるうちに、米田さんと友人が近いうちに潜水に一緒に行くので、ついでに体験ダイビングをしないかと誘われたのでした。

 いくじないもので突然海に潜れると思うと、今度は危険はないかと不安になったのですが、人一倍好奇心の強い私ゆえその誘いにまんまとのってみたのでした。

 さてその日がとうとうやってきたのでしたが、最高の天気で結局ダイビングを始めるロケーションが全てそろってしまいました。
 高橋さんという、やけに親切でなれなれしいおじさん(私といくつも違わない)を紹介してもらい、小樽の祝津海岸に向かったのでした。

その道すがらその親切な人はスナックを仕事にしていて、ダイビングのインストラクターの資格を持たずに私の体験をするということに気づいたので不安でいっぱいになりました、後年非常に無謀なことだった様に思えました。

 現地到着後器材説明、使用方法などを簡単に説明を受けいよいよ昔夢に見た、潜りのスタイルに変身です、借り物の小さなウェットスーツをやっとのおもいで、着たころには呼吸も絶え絶えの金魚のようになって いたのでした。

つづく...。
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